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証言
気象庁(名瀬測候所)の天気予報は軍事機密で、一般公開されませんでした。

(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)





天気予報が機密事項とされたのは、敵がこの情報を元に攻撃をしかけてこないようにするためでした。

空爆の際に雲は出ているのか?(雲があれば地上の目標を確認できない)、強風が吹いていないか?

あるいは、船で上陸する際に波はどうなのか?

敵が作戦を立てにくくするために天気予報の情報を確認したようです。

もし、測候所で働く人が知人に会ってあいさつ代わりに天気の話をしたら機密事項漏洩となるのでしょうか?

ちなみに、明治の頃は天気予報はめったに当たらないものだったらしく、「測候所」と3回唱えれば銃弾に当たらないというまじないがあったようです。

ただし、日露戦争では、”たまに(弾に)当たる”と解釈されて、そのまじないは封印されたとか。

身近なところの天気予報なら観天望気でそこそこに分かるかもしれません。

ツバメが低く飛ぶと雨、猫が顔を洗うと雨、朝の霧は晴れ、クモが巣を張れば雨は降らない・・・とか。


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証言
笠利は山が低く逃げるところないから、龍郷町の山を買って疎開準備する人もありました。

(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)





そうだとすると、標高の低い与論島の人々はどうしていたのでしょうか?

激しい地上戦が繰り広げられた沖縄本島にもっとも近いところにありますので影響を受けたと思うのですが・・・

沖永良部島のような鍾乳洞もありませんし、身を隠す手段はごく限られていたのでは?と気になります。


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証言
海上沖から浜に流れてくる兵隊さんの遺体は浜で火葬して差し上げました。(笠利町土盛海岸)

(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)





その後遺骨は家族の元に届けられたのでしょうか?

そもそも家族は無事だったのかという問題もあります。

戦死したほとんどの兵士は遺骨などなくて骨壷に紙切れ1枚だったようです。






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