2014年04月28日
雲あて
「がらすぃぬ くも あてぃ」 (烏の雲当て)
美味しい餌を見つけたカラスが、空の雲を目印にして地面に隠したという例え話。
渡し船に乗った侍が財布を落としてしまい、へりに刀で落とし場所のしるしをつけた・・・という小噺にも似ている。
ちっともあてにならない、ということ。
でも、人間って時として空に漂う雲を目当てにするようなことも・・・?

美味しい餌を見つけたカラスが、空の雲を目印にして地面に隠したという例え話。
渡し船に乗った侍が財布を落としてしまい、へりに刀で落とし場所のしるしをつけた・・・という小噺にも似ている。
ちっともあてにならない、ということ。
でも、人間って時として空に漂う雲を目当てにするようなことも・・・?

2014年04月26日
稲ん子に
「人間なよ 麦ん子なんなよ 稲ん子なれよ」
内地の表現で言うと、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
成長するにつれ驕らずに謙虚な気持ちを持ちなさいという戒めだ。
単なるポーズでなく、心から「私などまだまだ・・・」と前を向いている人は素敵だ。

内地の表現で言うと、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
成長するにつれ驕らずに謙虚な気持ちを持ちなさいという戒めだ。
単なるポーズでなく、心から「私などまだまだ・・・」と前を向いている人は素敵だ。

2014年04月24日
むんぬ知り果てやねん
どんな努力家でも、天才でも、この世にある森羅万象を知りつくすことはできないという意味。
「人類はまだすべての名前つけさえ済んでいない」と、何かの本にも書いてあった。
生涯かけて謙虚に学び続けるしかない。
いずれの分野にしろ、知の井戸が果てなく深いのならば
水をすべて汲み上げることを第一の目標にすれば、願い叶わぬまま一生を終えることになるわけだ。
汲み上げる行為そのものが楽しいのならば、その過程を一人楽しんで終わればいいわけだが
幾分でも汲んだ水を何かに役立てたいと思うのが人情。
器に浅い水でも、誰かの喉の渇きをいやせるし、草花の養分にもなりえる。
そうすることですべて報われる気がする。
「むんぬ 知りはてや ねん」
だから、乏しい知識でも勇気(?)を出して、恥を描き書き・・・。


「人類はまだすべての名前つけさえ済んでいない」と、何かの本にも書いてあった。
生涯かけて謙虚に学び続けるしかない。
いずれの分野にしろ、知の井戸が果てなく深いのならば
水をすべて汲み上げることを第一の目標にすれば、願い叶わぬまま一生を終えることになるわけだ。
汲み上げる行為そのものが楽しいのならば、その過程を一人楽しんで終わればいいわけだが
幾分でも汲んだ水を何かに役立てたいと思うのが人情。
器に浅い水でも、誰かの喉の渇きをいやせるし、草花の養分にもなりえる。
そうすることですべて報われる気がする。
「むんぬ 知りはてや ねん」
だから、乏しい知識でも勇気(?)を出して、恥を描き書き・・・。


2014年04月21日
親と子
「奄美・沖縄 女のことわざ」から続けて・・・
おそらく普遍的な、親子の関係について
「くゎや うやぬ くゎどぅ なりゅる」 (子どもは所詮親がしたようなことをする)
やっぱりね血は争えないよね・・・みたいな、良くない面で使われるようだ。
「くゎや うやねぃん にりゅん」 (子は親に似るもんだ)
親のようにはなりたくないと反発していた子供も親の歳になってみると親とよく似た自分になっている・・・ということ。
「カエルの子はカエル」ということか!?

「くゎ ぼんのぬ ねんば うや ぼんのも ねん」 (子どもへの愛情がなければ親への愛情も得られない)
血のつながった親子であっても、いわゆるネグレクトの親を子供が慕うことはない・・・ということか。
無条件で子に愛情を注ぐのが親だ。
子どもはそれを全身で感じているのだろう。

子どもを愛おしく思うがゆえに敢えて苦難を経験させる、という意味のことわざは多い。
「かなさん くゎねぃんや ふーやそ」 (かわいい子には、大きなお灸をすえなさい)
「かなさん くゎや ちゅぬ むん かまし」 (かわいい子には、よそのご飯を食べさせなさい)
「かなさん くゎんねぃんや たび しむぃるぃ」 (かわいい子には旅をさせなさい)

育児について書かれたものを読んだり、話を聞いたりするたびに
「遅かりし由良之介!」の心境になる。
頼りない親ながら、子どもがちゃんと育ってくれたことを有り難く思うと同時に
「もっと大事にしてあげればよかった、もっと才能を伸ばしてあげればよかった」と後悔するばかり。(;一_一)
おそらく普遍的な、親子の関係について
「くゎや うやぬ くゎどぅ なりゅる」 (子どもは所詮親がしたようなことをする)
やっぱりね血は争えないよね・・・みたいな、良くない面で使われるようだ。
「くゎや うやねぃん にりゅん」 (子は親に似るもんだ)
親のようにはなりたくないと反発していた子供も親の歳になってみると親とよく似た自分になっている・・・ということ。
「カエルの子はカエル」ということか!?

「くゎ ぼんのぬ ねんば うや ぼんのも ねん」 (子どもへの愛情がなければ親への愛情も得られない)
血のつながった親子であっても、いわゆるネグレクトの親を子供が慕うことはない・・・ということか。
無条件で子に愛情を注ぐのが親だ。
子どもはそれを全身で感じているのだろう。

子どもを愛おしく思うがゆえに敢えて苦難を経験させる、という意味のことわざは多い。
「かなさん くゎねぃんや ふーやそ」 (かわいい子には、大きなお灸をすえなさい)
「かなさん くゎや ちゅぬ むん かまし」 (かわいい子には、よそのご飯を食べさせなさい)
「かなさん くゎんねぃんや たび しむぃるぃ」 (かわいい子には旅をさせなさい)

育児について書かれたものを読んだり、話を聞いたりするたびに
「遅かりし由良之介!」の心境になる。
頼りない親ながら、子どもがちゃんと育ってくれたことを有り難く思うと同時に
「もっと大事にしてあげればよかった、もっと才能を伸ばしてあげればよかった」と後悔するばかり。(;一_一)
2014年04月20日
美人の条件?
方言のことわざが知りたくて図書館で探してみたら
「奄美・沖縄 女のことわざ/田畑千秋著」というのがあった。
娘(めぇーらべ)が嫁(ゆむぃ)に行き、刀自(とぅじ)となり、子供を産んで親(うや)になるまでの様々な場面での諺が紹介されている。
「美人の条件」という項目があった。
島でいう”きゅらむん(or きょらむん)”はどんな人を言うのか?
「むぃまゆぬ きょらさ」
美人の条件の第一はその目眉が美しいこと、だ。
「するかぶぬ まよー」(かもめのような眉)と言うから、きれいな弧を描く眉ということか?
「をぅなぐや ふーむぃ」
女は鈴のような大きな目がいい、とか。
沖縄の方言だったが、「からじぅばくも ちゅど ちゅらむん」
空っぽの重箱でもそれを持っている人が美しく着飾っていると立派に見える。
つまり「馬子にも衣装」というのも面白かった。
結局、容姿は大事ということか!?
「をぅなぐや しこしぬ むん」
女は化粧次第でどうにでもなるよ、と意地悪なものもあるけど。

だけど
「人は見かけじゃないよ内面が大事」という諺もある。
「よすや かまらん」、「きゅらむんや かまらん」
いくら顔かたちが良くても何の役にも立たない、と。
美人、不美人は、主観的なものなので、「惚れたらあばたもえくぼ」ということもある。
「かなしゃどぅ きゅらさ」
さらに、「ゆわさどぅ まぁーさる かなしゃどぅ きゅらさ」
空腹だと何でも美味しいでしょ、同じように、愛おしい気持ちがあれば美人なんだよ、ということか。
「うし してぃん きょらさや とぅじ」
貧しいなりで汗水たらして臼を挽いていても、亭主や家族のために働いている妻の姿は美しい。
喜びも苦難も共にして連れ添ってきた夫婦の情だ。

「奄美・沖縄 女のことわざ/田畑千秋著」というのがあった。
娘(めぇーらべ)が嫁(ゆむぃ)に行き、刀自(とぅじ)となり、子供を産んで親(うや)になるまでの様々な場面での諺が紹介されている。
「美人の条件」という項目があった。
島でいう”きゅらむん(or きょらむん)”はどんな人を言うのか?
「むぃまゆぬ きょらさ」
美人の条件の第一はその目眉が美しいこと、だ。
「するかぶぬ まよー」(かもめのような眉)と言うから、きれいな弧を描く眉ということか?
「をぅなぐや ふーむぃ」
女は鈴のような大きな目がいい、とか。
沖縄の方言だったが、「からじぅばくも ちゅど ちゅらむん」
空っぽの重箱でもそれを持っている人が美しく着飾っていると立派に見える。
つまり「馬子にも衣装」というのも面白かった。
結局、容姿は大事ということか!?
「をぅなぐや しこしぬ むん」
女は化粧次第でどうにでもなるよ、と意地悪なものもあるけど。

だけど
「人は見かけじゃないよ内面が大事」という諺もある。
「よすや かまらん」、「きゅらむんや かまらん」
いくら顔かたちが良くても何の役にも立たない、と。
美人、不美人は、主観的なものなので、「惚れたらあばたもえくぼ」ということもある。
「かなしゃどぅ きゅらさ」
さらに、「ゆわさどぅ まぁーさる かなしゃどぅ きゅらさ」
空腹だと何でも美味しいでしょ、同じように、愛おしい気持ちがあれば美人なんだよ、ということか。
「うし してぃん きょらさや とぅじ」
貧しいなりで汗水たらして臼を挽いていても、亭主や家族のために働いている妻の姿は美しい。
喜びも苦難も共にして連れ添ってきた夫婦の情だ。

2014年04月15日
為すぃば成りゅん!?
「為ろうち思めば為ららん物な無ん/すろうちうめばすららんむんなねん」
シンプルで力強い言葉だ。
あらゆる分野で多くの人がこの普遍的な言葉に勇気付けられてきたことだろう。
人生を言葉ひとつに置き換えられるほど単純でないことは誰もが経験しているけれど、最初からいろいろ諦めた人生は空しい。
夢の実現を信じて「ふりむん」呼ばわりされる方が幸せな場合だってあるはず。

シンプルで力強い言葉だ。
あらゆる分野で多くの人がこの普遍的な言葉に勇気付けられてきたことだろう。
人生を言葉ひとつに置き換えられるほど単純でないことは誰もが経験しているけれど、最初からいろいろ諦めた人生は空しい。
夢の実現を信じて「ふりむん」呼ばわりされる方が幸せな場合だってあるはず。

2014年04月12日
きむちゃげさ
最愛の家族や大切な財産を失うなど不幸の中にいる人への同情を表す言葉。
「可哀そうに」 「お気の毒に」
僕の勝手な思いこみだが、それを方言で「きむちゃげさ」と言われると
慈しみやいたわりの気持ちをも感じる。
「わんは、『可哀そう』と言われるのが一番好かん!」
友人との会話でそんなことを聞いた。
僕に向けて言われた言葉ではなかったが、その心情をうまく汲み取ることができずに戸惑った。
同情されるのはまっぴらだ! ・・・どうしてそんな強い気持ちになれるのだろう?
僕は弱くて単純な人間だから
苦しいときそれを理解してくれる人がまわりにいたらいくらかでも慰められる気がする。
「きむちゃげさ」は嘲笑とは違う。

「可哀そうに」 「お気の毒に」
僕の勝手な思いこみだが、それを方言で「きむちゃげさ」と言われると
慈しみやいたわりの気持ちをも感じる。
「わんは、『可哀そう』と言われるのが一番好かん!」
友人との会話でそんなことを聞いた。
僕に向けて言われた言葉ではなかったが、その心情をうまく汲み取ることができずに戸惑った。
同情されるのはまっぴらだ! ・・・どうしてそんな強い気持ちになれるのだろう?
僕は弱くて単純な人間だから
苦しいときそれを理解してくれる人がまわりにいたらいくらかでも慰められる気がする。
「きむちゃげさ」は嘲笑とは違う。
