2015年01月31日
あま美クイズ(328)
<問題> 1887年に瀬戸内町芝で生まれ、台湾や南洋サイパンで、砂糖や色々な農産物増産の指導や開拓をし、奄美の自然環境を利用したパパイヤの新品種やマンゴー、パイナップルなどさまざまな物を奨励したのは誰?
① 豊山 林良
② 豊島 林良
③ 豊村 林良

<正解> ② 豊島 林良 (とよしま りんりょう)
いとこの豊島栄が死去した後を受けて、大島郡農会長を始め、砂糖同業組合、畜産組合、水産組合等、奄美の産業関係の各種団体の会長や組合長を務めた。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
① 豊山 林良
② 豊島 林良
③ 豊村 林良

<正解> ② 豊島 林良 (とよしま りんりょう)
いとこの豊島栄が死去した後を受けて、大島郡農会長を始め、砂糖同業組合、畜産組合、水産組合等、奄美の産業関係の各種団体の会長や組合長を務めた。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
2015年01月29日
あま美クイズ(327)
<問題> 本町芝で生まれ、当時の農業研究の最高学府である東京駒場農林学校に学び、1902年から糖業模範場(大島農業試験場)で島の農業開発に取り組みながら県立大島農学校において子弟を相手に農業技術の教育をするなど奄美農業の発展に尽力し、1927年8月の天皇陛下来島の際に地方産業功労者を受賞したのは誰?
① 豊島 百太郎
② 豊島 栄
③ 豊島 虎松

<正解> ② 豊島 栄 (とよしま さかえ)
1869年、芝に生れた豊島 栄は、芝の地で小学校を終えた後、島の人々の貧しい生活を見て、近代的な農業を学び、島の産業として育成するために農業研究を志したという。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
① 豊島 百太郎
② 豊島 栄
③ 豊島 虎松

<正解> ② 豊島 栄 (とよしま さかえ)
1869年、芝に生れた豊島 栄は、芝の地で小学校を終えた後、島の人々の貧しい生活を見て、近代的な農業を学び、島の産業として育成するために農業研究を志したという。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
2015年01月27日
あま美クイズ(326)
<問題> 瀬戸内町西古見で生まれ、地元民で最初にカツオ漁業に取り組み、1901年に同志22人を集めて組合を結成し「宝納丸」を建造。
大漁が続き「空前のカツオ景気」に沸いた立役者。奄美の島々はもちろん、沖縄にもカツオ業の技術を広めたのは誰?
① 夜 明虎
② 夕 松明
③ 朝 虎松

<正解> ③ 朝 虎松 (あさ とらまつ)
1922年沖縄県からの要請に快く応じて、カツオ漁業の技術指導に向かった虎松は、ここでも休む間もなく漁法の指導に汗を流した。
沖縄でも大漁が続き、沖縄の漁民は大喜びしたそうであるが、過労がたたったのかわずか2カ月後に心臓麻痺によって54歳の若さで急逝した。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
大漁が続き「空前のカツオ景気」に沸いた立役者。奄美の島々はもちろん、沖縄にもカツオ業の技術を広めたのは誰?
① 夜 明虎
② 夕 松明
③ 朝 虎松

<正解> ③ 朝 虎松 (あさ とらまつ)
1922年沖縄県からの要請に快く応じて、カツオ漁業の技術指導に向かった虎松は、ここでも休む間もなく漁法の指導に汗を流した。
沖縄でも大漁が続き、沖縄の漁民は大喜びしたそうであるが、過労がたたったのかわずか2カ月後に心臓麻痺によって54歳の若さで急逝した。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
2015年01月26日
あま美クイズ(325)
<問題> 戦後兵役を終えて帰郷し、目標を失った多くの若者をまとめ上げて青年団長として活躍し、26歳にして古仁屋町議会議員となり、その後助役を務めた。
合併後は町議会議員として町勢発展に尽くした。
昭和47年(1972)に町長当選以来2期8年を務めた。その間、東亜燃料の宇検進出問題など、多くの課題に取り組んだ人物とは誰?
① 房 弘久
② 里 肇
③ 義永 秀親

<正解> ① 房 弘久 (ふさ ひろひさ)
大正9年 (1920)生れ、古仁屋出身。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
合併後は町議会議員として町勢発展に尽くした。
昭和47年(1972)に町長当選以来2期8年を務めた。その間、東亜燃料の宇検進出問題など、多くの課題に取り組んだ人物とは誰?
① 房 弘久
② 里 肇
③ 義永 秀親

<正解> ① 房 弘久 (ふさ ひろひさ)
大正9年 (1920)生れ、古仁屋出身。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
2015年01月22日
あま美クイズ(324)
<問題> 一代で現在の有村グループ28社の総帥となった、奄美の経済界のリーダーであり、瀬戸内町の名誉町民である人物の名前は?
① 有村 一村
② 有村 峰治
③ 有村 治峯

<正解> ③ 有村 治峯 (ありむら はるみね)
明治33年(1900)生れ 与論町茶花出身。
紬、黒糖、水産業などの事業を起こす。 復帰後、海運事業に乗り出し、一代で現在の有村グループ28社の総帥となった。
奄美の経済界のリーダーとして、産業経済の振興、航路の開拓に貢献した。
瀬戸内町にとって奄美海運の古仁屋寄港を実現した功績には大なるものがある。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
① 有村 一村
② 有村 峰治
③ 有村 治峯

<正解> ③ 有村 治峯 (ありむら はるみね)
明治33年(1900)生れ 与論町茶花出身。
紬、黒糖、水産業などの事業を起こす。 復帰後、海運事業に乗り出し、一代で現在の有村グループ28社の総帥となった。
奄美の経済界のリーダーとして、産業経済の振興、航路の開拓に貢献した。
瀬戸内町にとって奄美海運の古仁屋寄港を実現した功績には大なるものがある。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
2015年01月21日
あま美クイズ(323)
<問題> 3代目瀬戸内町に当選して以来、4期にわたって町勢の発展に尽くした町長の名前は?
① 里 肇
② 義永 秀親
③ 川井 順英

<正解> ① 里 肇 (さと はじめ)
昭和55年(1980)、瀬戸内町長に当選して以来、4期にわたって町勢の発展に尽くしたが、健康上の理由により任期を1年5カ月残して退任、直後に死去。文字通り命の限りを町政に尽くした。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
① 里 肇
② 義永 秀親
③ 川井 順英

<正解> ① 里 肇 (さと はじめ)
昭和55年(1980)、瀬戸内町長に当選して以来、4期にわたって町勢の発展に尽くしたが、健康上の理由により任期を1年5カ月残して退任、直後に死去。文字通り命の限りを町政に尽くした。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
2015年01月19日
あま美クイズ(322)
<問題> フェンシング競技で、昭和59年(1984)のロサンゼルスオリンピックと昭和63年(1988)のソウルオリンピックに出場した瀬戸内町・手安出身の選手はだれ?
① 富田(旧姓 岡) 智子
② 富山(旧姓 岡) 智美
③ 富川(旧姓 岡) 智三

<正解> ① 富田(旧姓 岡) 智子
1984年ロサンゼルス、1988年ソウルオリンピックに出場。1988年国民体育大会優勝。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
① 富田(旧姓 岡) 智子
② 富山(旧姓 岡) 智美
③ 富川(旧姓 岡) 智三

<正解> ① 富田(旧姓 岡) 智子
1984年ロサンゼルス、1988年ソウルオリンピックに出場。1988年国民体育大会優勝。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
2015年01月18日
あま美クイズ(321)
<問題> 昭和51年(1976) モントリオールオリンピックでフェンシング競技に出場した瀬戸内町手安出身の選手は誰?
① 石間 (旧姓 谷) 秀美
② 岩間 (旧姓 岡) 秀子
③ 風間 (旧姓 陸) 秀巳

<正解> ② 岩間 (旧姓 岡) 秀子 (いわま ひでこ)
モントリオールオリンピックのフェンシング競技に出場。
1979年、1981年全日本フェンシング選手権大会女子フルーレ個人優勝。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
① 石間 (旧姓 谷) 秀美
② 岩間 (旧姓 岡) 秀子
③ 風間 (旧姓 陸) 秀巳

<正解> ② 岩間 (旧姓 岡) 秀子 (いわま ひでこ)
モントリオールオリンピックのフェンシング競技に出場。
1979年、1981年全日本フェンシング選手権大会女子フルーレ個人優勝。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
2015年01月17日
あま美クイズ(320)
<問題> 昭和11年(1936) ベルリンオリンピックのレスリング競技に出場した瀬戸内町手安(てあん)出身の選手は誰?
① 吉岡 秀一
② 吉岡 秀二
③ 吉岡 秀市

<正解> ③ 吉岡 秀市 (よしおか ひでいち)
1936年ベルリンオリンピックのレスリング競技に出場している。
1936~1938年 グレコローマンスタイル、フェザー級で3年連続全日本選手権優勝を果たした。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
① 吉岡 秀一
② 吉岡 秀二
③ 吉岡 秀市

<正解> ③ 吉岡 秀市 (よしおか ひでいち)
1936年ベルリンオリンピックのレスリング競技に出場している。
1936~1938年 グレコローマンスタイル、フェザー級で3年連続全日本選手権優勝を果たした。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
2015年01月16日
あま美クイズ(319)
<問題> 加計呂麻島で、国民的映画「男はつらいよ」シリーズ最終作「紅の花」を撮影した監督は誰?
① 山田 洋次
② 下田 洋次
③ 上田 洋次

<正解> ① 山田 洋次
1931年、大阪府豊中市生まれ。
代表作に「男はつらいよ」シリーズ48作と「幸福の黄色いハンカチ」、「息子」、「家族」、「学校」、「母べぇ」などがある。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)
① 山田 洋次
② 下田 洋次
③ 上田 洋次

<正解> ① 山田 洋次
1931年、大阪府豊中市生まれ。
代表作に「男はつらいよ」シリーズ48作と「幸福の黄色いハンカチ」、「息子」、「家族」、「学校」、「母べぇ」などがある。
(瀬戸内町教育委員会発行 「せとうち 子ども検定」より)