2015年12月22日
ケンゼ
ウブシ(家普請)のとき手伝ってくれる人に対して「チャ(茶)」を出さなければいいけない。
10時、12時、15時と日に3回
米の飯、煮物など、ほかに菓子や餅など出すのでけっこうな消費になる。
それで、ウブシの実施に合わせて事前に少しずつ貯蔵して準備しておく。
しかし、野菜だけは貯蔵がきかない。
今はお金があればお店で野菜を手にいれることはたやすいが
昔は自給自足が原則なので大量に消費する場合は足らなくなる。
それでウブシをする家の親戚などが野菜を持ち寄って提供していた。
これが「ケンゼ(献菜)」と言われる。
何をするにも協力して助け合わないと生活できない社会だ。

(恵原義盛著「奄美生活誌」より)
10時、12時、15時と日に3回
米の飯、煮物など、ほかに菓子や餅など出すのでけっこうな消費になる。
それで、ウブシの実施に合わせて事前に少しずつ貯蔵して準備しておく。
しかし、野菜だけは貯蔵がきかない。
今はお金があればお店で野菜を手にいれることはたやすいが
昔は自給自足が原則なので大量に消費する場合は足らなくなる。
それでウブシをする家の親戚などが野菜を持ち寄って提供していた。
これが「ケンゼ(献菜)」と言われる。
何をするにも協力して助け合わないと生活できない社会だ。

(恵原義盛著「奄美生活誌」より)
2015年12月14日
タンミハマリ
ウブシ(家普請)の前日になると
人手を集める係のタンミハマリが家々をまわる。
側家戸口(スバヤドグチ)に立ち加勢を頼む口上をのべる。
「キョーロ (ごめんください)」
「イモーレ (いらっしゃい)
「ヨネヤウガミンソーラ (こんばんは)」
「イヤーヤ チーナ (お前は来たのか)」
「シグアリオンバン (すぐのことだけど)、○○ニンタンマッチ キーオタンジャガ (○○に頼まれて来ましたが)
ウブシクヮバ テケトリオンジャガ (普請を手掛けているのですが)
テーヌタリオランガ (手が足りませんが)
アシャ テクバアテ タボラリオランカイ (明日手配ってくださいませんか)」
「セーオルセッカ チ シラレレヨ (やってあげると お伝えください)」
タンミハマリはひとり5人ほどの加勢を頼むという。
奄美には共助の精神で労働を提供し合う「ユイ」の習俗があるので、
タンミハマリが訪ねてきたら基本断ることはなかったようだ。

(恵原義盛著「奄美生活誌」より)
人手を集める係のタンミハマリが家々をまわる。
側家戸口(スバヤドグチ)に立ち加勢を頼む口上をのべる。
「キョーロ (ごめんください)」
「イモーレ (いらっしゃい)
「ヨネヤウガミンソーラ (こんばんは)」
「イヤーヤ チーナ (お前は来たのか)」
「シグアリオンバン (すぐのことだけど)、○○ニンタンマッチ キーオタンジャガ (○○に頼まれて来ましたが)
ウブシクヮバ テケトリオンジャガ (普請を手掛けているのですが)
テーヌタリオランガ (手が足りませんが)
アシャ テクバアテ タボラリオランカイ (明日手配ってくださいませんか)」
「セーオルセッカ チ シラレレヨ (やってあげると お伝えください)」
タンミハマリはひとり5人ほどの加勢を頼むという。
奄美には共助の精神で労働を提供し合う「ユイ」の習俗があるので、
タンミハマリが訪ねてきたら基本断ることはなかったようだ。

(恵原義盛著「奄美生活誌」より)
2015年12月10日
ウブシとタンミ
家の新築や改築、補修など、いわゆる家普請をウブシという。
大がかりなことの意である大普請がなまってウブシになったようだ。
島で家の屋根を葺くガヤは、本土と同じようなわら葺きでは弱くて持たないので
茅(ちがや)か、萱(すすき)を使用するのが一般的だった。
15年くらいの耐久性なので、一生に1~2度は屋根葺き替えのウブシをすることになる。
大和村の一部と根瀬部集落では笹で屋根を葺いており、こちらは30年ほどの耐久性があったとか。
そろそろと思う年に合わせて、手伝いをする人の飲食や屋根ふきの材料などをそろえておいた。
また、台風で屋根(藁葺き)が破損するなど緊急の普請を必要とする場合もあった。
おおぜいの人の手を借りなければならない大仕事である。
それで、肩の荷が重い、負担になるという意味でも「ウブシ」の方言が使われている。

(恵原義盛著「奄美生活誌」より)
大がかりなことの意である大普請がなまってウブシになったようだ。
島で家の屋根を葺くガヤは、本土と同じようなわら葺きでは弱くて持たないので
茅(ちがや)か、萱(すすき)を使用するのが一般的だった。
15年くらいの耐久性なので、一生に1~2度は屋根葺き替えのウブシをすることになる。
大和村の一部と根瀬部集落では笹で屋根を葺いており、こちらは30年ほどの耐久性があったとか。
そろそろと思う年に合わせて、手伝いをする人の飲食や屋根ふきの材料などをそろえておいた。
また、台風で屋根(藁葺き)が破損するなど緊急の普請を必要とする場合もあった。
おおぜいの人の手を借りなければならない大仕事である。
それで、肩の荷が重い、負担になるという意味でも「ウブシ」の方言が使われている。

(恵原義盛著「奄美生活誌」より)
COMMENT: (0) CATEGORY: 島口CATEGORY: 歴史民俗
2015年12月08日
疱瘡神の暴行事件
明治27年、小宿村に疱瘡の患者が出た。
恐ろしい病気が村に入らぬよう根瀬部の村の若者たちは疱瘡神追いをやって警戒していた。
ある日そこへ一人の男が通りかかった。
引き返すのもしゃくだから無理に通ろうとした。
「どこの者だ!」 「小宿の者だ!」
そもそも、そのときの疱瘡神追いは、小宿で患者が出たということで始まったもの。
青年たちは色めきたった。
「小宿の疱瘡神だー!」
一斉に殴り掛かり男を半死半生の目にあわせた。
男はほうほうのていで疱瘡神追いをやっている村々を避けて海岸づたいに小宿まで帰った。
親族が警察に訴えたことでこの集団暴行が明るみになり
根瀬部の青年たちは片っ端から警察に検挙された。
この事件が「疱瘡追い崩れ」として後々までの語り草になったという。

(恵原義盛著「奄美生活誌」より)
恐ろしい病気が村に入らぬよう根瀬部の村の若者たちは疱瘡神追いをやって警戒していた。
ある日そこへ一人の男が通りかかった。
引き返すのもしゃくだから無理に通ろうとした。
「どこの者だ!」 「小宿の者だ!」
そもそも、そのときの疱瘡神追いは、小宿で患者が出たということで始まったもの。
青年たちは色めきたった。
「小宿の疱瘡神だー!」
一斉に殴り掛かり男を半死半生の目にあわせた。
男はほうほうのていで疱瘡神追いをやっている村々を避けて海岸づたいに小宿まで帰った。
親族が警察に訴えたことでこの集団暴行が明るみになり
根瀬部の青年たちは片っ端から警察に検挙された。
この事件が「疱瘡追い崩れ」として後々までの語り草になったという。

(恵原義盛著「奄美生活誌」より)