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火事にそなえて村の人たちは消防そしきをつくりました。
村を半分にして2つの「隊」をつくります。
隊の中に5~6けんずつまとめた「組」をつくります。

「隊」の隊長は、ブラ(ほら貝)をあずかります。
もし火事になったらブラを吹いて村の人に知らせます。

「組」の組長は、サシマタ(さすまた)とドンジ(木づち)をあずかります。
もし火事になったらそれで家の柱やかべをこわして火の広がるのをふせぎます。
むかしからの火消しの方法です。

それぞれの家は、サシナワ(かけなわ)、サシバシ(はしご)、水おけをそなえておきます。
いざというときにすぐ使えるようにふだん使う道具とは別にしていました。
「かまど検査」では、これらの道具がそろっているかどうかもしらべられます。

村の人たちは自分たちの村を自分たちの手で守っていたのです。





(恵原義盛著「奄美生活誌」より)


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旧暦の1月4日のザッコ日以外にかまど検査をすることがあります。

長く雨がふらず空気がかんそうして火事になりやすいときなど
りんじにかまど検査をします。
もし火が出れば大火事になりそうなときに、とくべつに注意させるためです。

「アシャヤ ゥマチンガナシシラベドー (明日は防火検査だぞ)」
コボレ(戸触れ)がさけんで知らせます。
すると、村の人たちは、火を使うばしょをきれいにそうじし、
防火のためのどうぐがそろっているかかくにんします。

ゆだんしないようにするための検査です。






(恵原義盛著「奄美生活誌」より)


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「ザッコ」という火の神さまがいます。

旧暦の1月4日は、この火の神さまをおまつりするために家事を休みます。

そしてこの日は、村中ぜんぶのかまどやいろりを検査する日でもあります。

村の代表たちが1けんずつていねいに調べて回り

ちょっとでも火事につながりそうな問題点を見つけたらそれを注意します。

何日かして注意されたところが直されているかどうかをコボレが確かめます。

これがザッコ日のかまど検査です。






(恵原義盛著「奄美生活誌」より)



ザッコは、日がらの良い悪いを占うときの「赤口(シャッコウ)」とも関係があるようです。

きげんをそこねると良くないこと(火事)がおこりそうです。


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「ゥマチ」とは火のことです。
「ガナシ」は、神さまをうやまって言うことばです。

むかし、火を使うところには「ゥマチヌカミ(火の神)」がいると信じられていました。
だから、神さまに失礼のないように、いろりやかまどのまわりはいつもきれいにしていました。

火をおこす前には線香をたててゥマチヌカミにおいのりをします。
むかしの人は火を大切にあつかい用心ぶかくしていました。
火をそまつにあつかうと火の神さまをおこらせて火事になるかもしれないからです。





(恵原義盛著「奄美生活誌」より)


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村にまだ電気やガスがなかったころ

ご飯をたいたり風呂をわかしたりするためにたき木をしていました。

たき木に使う木の枝などは山にたくさんあったので、必要になったときいつでも拾いにいきました。

畑をたがやすために牛や馬をかっていたので、えさのまぐさは毎日取りにいきました。


しかし、村のお祭りがあるときは、たき木拾いやまぐさとりをしてはいけません。

祭りの日は、アシビ日(仕事をしないであそぶ日)と決められています。

祭りに出ないで畑仕事などすると神さまをおこらせてしまいます。

それで、祭りの日に休むために、たき木とまぐさを2日分か3日分まとめてあつめておきます。


祭りの前の日になると、コボレが「アシャヤ キマンクサドー(あしたはキマンクサの日だよ)」と知らせて回ります。

キマンクサは、キ(たき木)とマンクサ(まぐさ)のことです。

「アシャヤ キマンクサドー」のかけ声は

あしたはたき木とまぐさをたくさん集める日で、あさっては祭りがあることを知らせているのです。





(恵原義盛著「奄美生活誌」より)



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2015年07月24日

やってみたかったこと

「奄美をやさしく伝える会」という名刺がある。

その裏面にはこう書いている。

こどもたちが奄美の歴史や文化を学び
郷土への愛着と誇りを育むことをサポートするために
平易な文章とマンガ・イラストを用いて親しみやすく
理解しやすい媒体をつくることを目的としています。



名刺がつくられたのは2014年。 しかし、これはまだ架空の会である。

「こんなことができたらいいね」という話の盛り上がりでこさえた任意団体だ。

もう誰もそのことを口にしないが、しかし、ぼくは本気だった。

いや、過去形ではなく今も本気で思っている。

だが、やれるという確たる自信はない。

たとえば、市町村で発行している郷土誌を子ども向けに平易に書いてみたら・・・などと夢想したりもするが、実際にそういう機会があったとして、きちんと(子どもが興味を持てて理解しやすいものをつくるという)目的を果たせるかどうかまったく未知数だ。

何しろ想像するだけで実際にやったことがない。

先日ふとそのこと(奄美をやさしく伝える会)を思い出してあらためて考えてみた。

とりあえず、ためしてみればいいんだ。

うまくいくようになるまで、納得できるレベルになるまで試してみよう。

そう思ってこのブログで実験(あるいは練習)することにした。

今はちょうど自分の勉強を兼ねながら恵原義盛さんの「奄美生活誌」について書いている。

それを子ども向けの文章に変えてみた。

10歳くらいの年齢(小学4年~5年生)を念頭に置いてみたのだがはたしてどうだろうか?

使う漢字や表現方法も含めていろいろ研究しないといけない。

思いつきのまま道ばたに落書きをはじめたようなものだけど、とりあえず、子どもが立ち止まって読んでくれるようなレベルを目指して。





前々回のブログ「ミチサレ」から唐突に文章の調子が変わったのはこういうわけだ。

当の子どもはこのブログは見ないだろうけど

小学校の親ごさんとか教育関係者からアドバイス等いただけたらありがたいです。


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むかしの道はコンクリートなどでほそうされていません。
地面がむきだしになっているので雨や風でだんだん荒れていきます。
まわりの草がのびると道をふさいでしまいます。
だから村の人たちは毎年1回道の手入れ(ミチサレ)をしていました。

それだけではありません。
ときには川の水があふれて泥が道をふさいだり
台風でがけがくずれたり木がたおれたりして道が使えなくなることがあります。
そんなときは、とくべつのミチサレをします。
キズついた道を直すための「キジミチサレ」です。

「アシャヤ キジミチサレドー」
区長さんにたのまれてコボレが村人に知らせます。

よく朝、また、15歳から60歳までの男女が集まりました。
男の人たちは、石づみなどの力仕事をしてこわれたところを直していきます。
女の人たちは、もっこ(うんぱん用のカゴ)を使って石や土を運びます。




こうして村人みんな午前中いっぱいはたらいて、こわれた道を元通りにしました。
あいた午後はお酒をのんで遊んだりもしたようです。
きつい仕事を終えたあとのごほうびと道が元通りになった喜びでしょうか。


(恵原義盛著「奄美生活誌」より)


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まだ奄美に自動車やバスが走っていないころ
村々の道は馬や牛がようやく通れるほどの細い道でした。

ほおっておくと草がのびて足もとが見えなくなります。
もしかしたらおそろしい毒をもつハブがまちぶせしているかもしれません。




伸びた草を刈るために区長さんは村のみんなを呼び集めることにしました。
区長さんのお手伝いをするコボレが「アシャヤ ミチサレドー」と村人に呼びかけます。
「ミチサレ」とは、みんなで力を合わせて道をきれいにする作業のことです。

ミチサレの場所は、村をはさんでとなりの村につながる峠から反対側の峠までです。
その間の道は、そこの村できれいにしなければいけません。
峠の向こうの道はそれぞれとなりの村がきれいにします。

つぎの日、15歳から60歳までの村人たちが道具をもって集会場にやってきました。
区長さんは、集まった村人をいくつかの組に分けます。
きつくて体力がいるところは、若くて元気な壮年組にまかせることにしました。
ふくざつなところは、いろいろ知っている年寄組にまかせることにしました。
こん気のいるところは、がまん強い女子組にまかせることにしました。





(恵原義盛著「奄美生活誌」より)




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昔のハブ狩りの話の続き

ハブを捕らえる方法は、先ず長い棒でハブを抑えて動けなくして

他の者が竿の先にとりつけた紐の輪でハブを首を縛るようだ。

そして「とったとった」と歓声をあげて本部(集会場)に引き揚げる。

こうした捕獲道具はもちろん手作りだったが

今なら島の量販店でハブ取りの道具一式(引っ掛け、ハブ箱)を揃えられる。

行政によるハブ一匹の買上げ額が5000円のときには、2匹捕まえればすぐに元がとれてお釣りが出るくらいだったが

買上げ額が3000円になった今では道具が髙くつくように感じられる。

昔、といってもそんなに遠い過去の話ではなく30~40年ほど前には

素手でハブを捕まえるような豪胆なおじさんたちがちらほらいた。

小学校の裏山で草刈りをしていた父兄がハブを発見して騒ぎになり

一人のおじさんが逃げようとするハブの首根っこを素手で捕まえて掲げてみせた。

また、嘉徳集落入り口付近でオートバイ(ホンダのカブ)に乗ったおじさんとすれ違ったときには

ハンドルと一緒に左右の手でハブを握っていたのでおどろいた。

古仁屋の方向に向かっていたので、当時からハブの買い取りがあったのか? 須手の熱研で買い取ったのか?

それにしてもすごい人がいたものである。

村の男性総出でハブ狩りをしていた頃も、そんなに肝っ玉の太い人ばかりではなかったはずである。

「アシャヤ ハブガりドー!」のコボレ(戸触れ)の声にその晩は眠れない人もいたのでは?

僕は時代が少しずれて生まれて良かったと思っている。




(恵原義盛著「奄美生活誌」より)














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ハブの活動が活発になる頃に「アチャヤ ハブガリドー (明日はハブ狩りだぞ)」とのお触れが出る。

ハブの買上げなど行われていなかった頃は生息数も多かったのであろう、毎年各村で多くの咬傷者が出ていた。

それで、15歳から60歳までの村の男性全員で自衛のために大々的にハブ狩りを行っていた。

組分けで分散してハブ狩りを行うが、もし午前中にハブを捕獲できなかった場合は午後も、それでもだめなら日を改めてハブを追った。

一組一匹が最低限のノルマであった。




(恵原義盛著「奄美生活誌」より)





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