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証言
終戦の頃、米機のビラ(日本降伏)は、疎開小屋あたりまで飛んできました。
大人たちは「もうダメだなぁ」と言っていました。


(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)






米軍のビラを読んだり他言することは禁じられていました。

拾った者は憲兵に届けなければならず、もしも持ち帰ったことがばれたら大変な仕打ちにあったようです。

子どもの耳に入るほど話題になっていたということは、終戦間際は、もはや統制する機能もなかったということでしょう。


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証言
山の土手に穴をあけて、5〜6人入れる防空壕をつくり、山すその疎開小屋に子どもたちは小さい机といすを持ち込んで勉強しました。

(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)





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証言
満州では、日本が負けたらソ連兵や中国兵はやりたい放題。
腕時計などの貴金属をとりあげ、抵抗したら銃殺でした。
満州から日本への引き揚げの集団移動では、年配の人はついていけず、「皆さんサヨナラ」と手を振って生き別れでした。


(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)




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