2016年07月09日
戦争を知っている子どもたち(32)
証言
戦後、外地からの引揚げでは、幼い兄弟姉妹は親がおんぶしたり、両手に子ども一人ずつ手をひいて歩く(逃げる)ため、3人目以降の子どもは中国人に預け、残留孤児となった子も多くいました。
戦後、残留孤児のテレビ番組があると、自分たちの運命と重ね涙することでした。
また、残留孤児にはならなくとも、すれすれの体験をした子どもたちは多かった。
※外地・・・国内以外の、朝鮮、満州、台湾、南洋諸島など日本が統治していた地域。
(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)

残留孤児と言えば、山崎豊子さんの「大地の子」が思い浮かびます。
主人公と同じく孤児となった妹のあつ子の運命が憐れで涙が止まりませんでした。
”置かれた場所で咲きなさい”という言葉が虚しく響く境遇もあるということです。
戦後、外地からの引揚げでは、幼い兄弟姉妹は親がおんぶしたり、両手に子ども一人ずつ手をひいて歩く(逃げる)ため、3人目以降の子どもは中国人に預け、残留孤児となった子も多くいました。
戦後、残留孤児のテレビ番組があると、自分たちの運命と重ね涙することでした。
また、残留孤児にはならなくとも、すれすれの体験をした子どもたちは多かった。
※外地・・・国内以外の、朝鮮、満州、台湾、南洋諸島など日本が統治していた地域。
(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)

残留孤児と言えば、山崎豊子さんの「大地の子」が思い浮かびます。
主人公と同じく孤児となった妹のあつ子の運命が憐れで涙が止まりませんでした。
”置かれた場所で咲きなさい”という言葉が虚しく響く境遇もあるということです。
2016年07月09日
戦争を知っている子どもたち(31)
証言
宗教弾圧では、高千穂神社に行かなかっただけで処罰された人もいました。
(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)

宗教弾圧では、高千穂神社に行かなかっただけで処罰された人もいました。
(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)

2016年07月09日
戦争を知っている子どもたち(30)
証言
登校したらまず二宮金次郎像におじぎをし、次に奉安殿におじぎをして、教室に入りました。
下校の時も同じです。
(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)

そういえば、島に奉安殿はいくつか残っていますが、二宮金次郎像は見た記憶がありません。
母校の小学校の校庭を見下ろす場所にコンクリート造りの奉安殿があって、たまにそこで遊んだり欄干に腰掛けたりしていました。
もし当時なら校長先生や軍事教官が激昂レベルの不敬罪ですね。
登校したらまず二宮金次郎像におじぎをし、次に奉安殿におじぎをして、教室に入りました。
下校の時も同じです。
(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)

そういえば、島に奉安殿はいくつか残っていますが、二宮金次郎像は見た記憶がありません。
母校の小学校の校庭を見下ろす場所にコンクリート造りの奉安殿があって、たまにそこで遊んだり欄干に腰掛けたりしていました。
もし当時なら校長先生や軍事教官が激昂レベルの不敬罪ですね。