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証言
沖縄から本土へ向かう途中の昭和19年8月22日、敵弾に合い悪石島沖で撃沈された疎開学童船「対馬丸」(6754トン)の遺体は、黒潮の反流に乗って、大和村や宇検村に漂着しました。
遺体はサバに引きちぎられたりで、まともな遺体はなく、引率の先生と生徒がロープでつながれたまま漂着した遺体もありました。


(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)




対馬丸の犠牲者は1476名〜1661名と少し曖昧な点もありますが、いずれにしてもおびただしい数の学童たちが犠牲になったのは間違いありません。
当時宇検村で遺体の引き上げに携わった男性がテレビで証言していましたが、それによると、腐臭と惨たらしさに耐えきれず大人たちは酒をあおって感覚を鈍らせてから作業したそうです。
そのときの遺体はとりあえず浜のアダンの下に埋葬したとのことでした。
対馬丸のことが知られると国民の戦意をくじくということで軍の命令で箝口令(いわゆる口どめ)がしかれました。



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