2016年08月08日
戦争を知っている子どもたち(79)
証言
家から家財道具を持って畑や山中に疎開小屋をつくり仮住まいをしました。
集落の中は空襲が危なくて住んでいられなかった。
疎開小屋は、結いワクで造り、ヒラキ小屋が主で9尺2間(6畳一間)の張り出し程度でした。
台所がないので、外でご飯炊きをしました。
家族数が多いところは、新たに張り出し小屋をつくりました。
煙は外に出すと米軍機に見つかり攻撃されるので、食料は夜にまとめ炊きをしました。
(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)

当然電気などひかれていないので、夜はかなり暗かったと思います。
便所はどうしたのでしょうか?
ハブの恐怖も大きかったと思います。
それでも空襲に遭うよりはマシだったのでしょう。
家から家財道具を持って畑や山中に疎開小屋をつくり仮住まいをしました。
集落の中は空襲が危なくて住んでいられなかった。
疎開小屋は、結いワクで造り、ヒラキ小屋が主で9尺2間(6畳一間)の張り出し程度でした。
台所がないので、外でご飯炊きをしました。
家族数が多いところは、新たに張り出し小屋をつくりました。
煙は外に出すと米軍機に見つかり攻撃されるので、食料は夜にまとめ炊きをしました。
(奄美群島の日本復帰運動を伝承する会「戦時中の奄美の子どもたち」より)

当然電気などひかれていないので、夜はかなり暗かったと思います。
便所はどうしたのでしょうか?
ハブの恐怖も大きかったと思います。
それでも空襲に遭うよりはマシだったのでしょう。
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